2026年7月24日(金)
コラム

無価値化される資料の「綺麗さ」。誰もが整えられる時代に「真剣さ」はどう伝えるか

誰もが整ったスライドを作れるようになり、かつて真剣さの証明だった「綺麗さ」はむしろ警戒シグナルへ反転しはじめている。営業の現場で信用を生むために何が必要なのか、生成ツールを使い倒す立場から考えた。

上村 謙輔

株式会社サードパーティートラスト

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「あ、これAIで作ったな」と感じた瞬間、提案の中身まで割り引かれる

最近、提案資料を見て数秒で「あ、これAIで作ったな」と感じる場面が増えた。

英語の見出し、3つのカードに分割されたサービス紹介、数字だけが大きく並んだセクション、最後に置かれた「よくある質問」。一度パターンを覚えてしまうと、デザインのテイストごと識別できるようになる。「Claudeっぽい」「GPTっぽい」と感じてしまうのは、生成ツールの世界観に統一性があるからで、SNSでもYouTubeでも、似たような顔をした資料が毎日流れてくる。

問題は、見た目だけの話で終わらないことだ。「AIで作ったな」と思った瞬間、私は内容そのものまで疑い始めている自分に気づく。生身の脳みそで考えた痕跡を感じない資料は、読む気そのものが起きない。これは私だけが感じている変化ではないと思う。

「綺麗さ」が真剣さの代理指標だった時代は、終わった

そもそも、提案資料が「綺麗」であることに、なぜ価値があったのか。

中身を伝えるための器、というのが表向きの理由だ。だが本当の機能は別のところにあったと、私は考えている。綺麗な資料は、提案主が真剣に時間を使った証明だった。フォントを揃え、余白を整え、構成を練る作業には大きなコストがかかる。そのコストを払ったという事実そのものが、「真面目に向き合っています」というシグナルになっていた。

ところがAIによって、このコストがほぼゼロになった。中身が薄くても、ものの数分で整った資料は出てくる。代理指標として機能していた「綺麗さ」は、もはや真剣さを担保しない。むしろ「AIに丸投げした人」のシグナルとして反転しはじめている。

合理化が進むほど、合理化される前の行為が持っていた意味が逆転する。これはAI時代に至るところで起きている現象だが、提案資料はその最前線にある。年間予算が数千万、数億のプロジェクトに対して、見覚えのあるAI生成テンプレートで提案を持っていったら、規模感とのミスマッチが必ず違和感として相手に残る。

資料の本質は「伝える」こと。フォーマットそのものをずらす

ここで一度、原点に戻りたい。資料の役割は伝えることであり、最も相手に伝わる作り方を選ぶのが正解だ。

だから「AI生成のきれいなスライドでいい」というお客さんに対しては、見せ方にこだわる必要はない。内容で勝負すればいい。これは間違いなく正しい判断だ。

ただ、もう一方の現実もある。AIに見慣れすぎて「またこれか」と感じるようになっているお客さんも増えてきた。そういう相手にAI生成の整った資料を出すことは、合理的どころか営業的にはマイナスに作用する。

私が実際にやっていることをいくつか挙げる。

  • 提案を没入型のWebサイトとしてコンテンツ化する。スライドではなく、ブラウザ上でスクロールしながら提案が進んでいく形にする。ストーリーテリング的に没入感のある見せ方ができ、技術力のアピールにもなり、何より他社との差別化に直結する。提案内容を不特定多数に公開するわけにはいかないので、関係者のみがパスコードでアクセスできるクローズドサイトとして運用する
  • 大型プロジェクトでは複数ページの専用サイトを作り、情報を文脈立てて整理する。検討期間中、お客様がいつでも参照できる提案サイトとして機能させる。私の場合は「ディープダイブメディア」というサービスとして運用しており、これもクローズドサイトだ。一発のスライドでは出せない検討の厚みと長期コミットメントが伝わる
  • AIを嫌うお客様には、手作り感のある資料を意図的に作る。手作り感のあるデザインも研究して作り込む。AIで生成するとどうしてもAIっぽさは混じってしまうので、営業活動と割り切って手作りで資料を作ることもある

共通しているのは、スライドの綺麗さで競うのをやめて、フォーマットそのものを一段ずらしていることだ。比較される土俵から降りる、という発想に近い。

AIを使い倒している人間ほど、AIに任せてはいけない領域が見える

私自身、業務のかなりの部分をAIに依存している。だからこそ言える。AIを使い倒している人間ほど、AIに任せてはいけない領域が見えてくる。

仕事には、私が「営業的役割」と呼んでいる部分がある。相手にどう情報が伝わるか、相手にどう信用してもらえるか、という部分だ。これは合理性だけでは説明がつかない。人間は動物なので、合理的ではない部分にこそ信用を感じることがある。手間がかかる、効率が悪い、それでもやっている。その事実が、提案内容とは別の次元で人を動かす。

「資料はAIで整えればいい、内容で勝負しろ」という主張は、それ自体まったく正しい。ただ営業の現場では、内容が伝わるかどうかが最終的な勝負どころで、伝わるためには相手を見る必要がある。綺麗な資料が標準化されたいま、綺麗さは伝達のシグナルとして機能しない。だから別のシグナルが必要になる。

綺麗なパワポを出すだけで真剣さが伝わった時代は、もう終わった。次の伝達手段は、それぞれが自分の現場で発明していくしかない。

なお、誤解のないように補足しておくと、「手作り感」は雑に作っていいという意味ではない。基準はあくまで「相手に伝わるか」であり、AIで整えるのも、手作り感を作り込むのも、Webサイト化するのも、その基準のもとで選ぶ手段にすぎない。

上村 謙輔

株式会社サードパーティートラスト 代表取締役

WEBマーケティング領域で15年以上の経験を持ち、データドリブンな戦略立案とAI活用を専門とする。株式会社サードパーティートラスト代表取締役として、企業のデジタルトランスフォーメーションを支援。WebTech Journalではコラムニストとして、業界の最前線から独自の視点で考察を発信している。

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