「エンジニアはもういらない」は半分正しい —— AIで何かを作る人が、次のエンジニアだ
「AIが書けるなら、もうエンジニアは要らない」。SNSではそんな声が飛び交う。だが私は、1年で100個近くアプリを作ってみて、まったく逆の結論にたどり着いた。エンジニアの定義が「コードを書く人」から「テクノロジーで価値を作る人」へと変わるだけだ。そして、その新しい定義の分水嶺は驚くほどシンプルだ——かけたコストを上回る価値を、本当に生めるのか。経営者がいま向き合うべき問いを、実装する側の視点から書いた。
専門家による独自の視点・考察。Webマーケティング業界の最前線から発信します。
「AIが書けるなら、もうエンジニアは要らない」。SNSではそんな声が飛び交う。だが私は、1年で100個近くアプリを作ってみて、まったく逆の結論にたどり着いた。エンジニアの定義が「コードを書く人」から「テクノロジーで価値を作る人」へと変わるだけだ。そして、その新しい定義の分水嶺は驚くほどシンプルだ——かけたコストを上回る価値を、本当に生めるのか。経営者がいま向き合うべき問いを、実装する側の視点から書いた。
「これからはAIを使えない人間に価値はない」――そんな号令とともに、全社員へのAI展開に踏み切る企業が相次いでいる。そのプロセス自体には尊い価値がある。だが私は、現場でいくつもの「その後」を見てきて、一つの疑問を抱くようになった。AIは全社員が等しく使いこなせるツールなのか。私はAIを「掛け算のツール」だと考えている。だとすれば、全社一律の号令は本当に組織を豊かにするのか。本稿は、AI活用を否定するためではなく、より意味のある活用を選び取るための問題提起である。
「全社員にAIを使え」という号令が日本中の会社で響いている。社員300人に作らせて100アプリができた、という成果報告も聞く。しかし、誰でも作れるものに価値はあるのか。コンテンツ業界ではすでにAI起因のジリ貧化が始まっており、効率化した分そのまま単価が下がるという皮肉な状況が起きている。私はWeb解析の現場で20年仕事をしてきたが、AIで生き残るために必要なのは「広く浅く」ではなく、自分の専門性を「狭く深く」掘り下げる方向にAIを使うことだ。そしてこれは現場に丸投げできない、経営層が責任を背負うべき戦略課題である。
誰もが整ったスライドを作れるようになり、かつて真剣さの証明だった「綺麗さ」はむしろ警戒シグナルへ反転しはじめている。営業の現場で信用を生むために何が必要なのか、生成ツールを使い倒す立場から考えた。
Claude SkillsやMDファイルの公開・共有が加速する一方で、「たかがマークダウンファイル」という軽い認識のもと、無断コピー・転売が横行しつつある。私自身、20年分のウェブアナリストとしてのノウハウを、構造化されたMDファイル群として外在化している最中で、すでに10時間以上を費やしている。これから50時間、100時間とかかっていく作業だが、完成したそのファイル群は一瞬で複製可能だ。MDファイルは自然言語で書かれているがゆえに、プログラムコードのような保護意識が働きにくい。しかしその中身は、先人たちの血と汗の結晶であるノウハウそのものである。本稿では、作成者の意図を最上位に置く倫理観と、MDファイル群を「超著作物」として扱う意識変革の必要性を訴える。
AI による業務効率化は進んでいるが、"浮いた時間をどう使うか"を真剣に議論している会社は驚くほど少ないように感じる。人員削減、新規事業、勤務時間短縮、サービス深化——そのどれもが、会社・社員・顧客のいずれかを損なう構造を抱えているように見える。80%がAI導入に抵抗し、知人の会社では30人を10人に整理した上でAI活用を目指したが、現場は"なんちゃって効率化"に止まっている。個人のAI活用は自由を広げる素晴らしい話だが、会社にとっての効率化はそれとは別の次元にある——20年Web分析に携わってきた私の実践と失敗から感じている"モヤモヤ"を共有したい。