検索エンジンが実際に何を見せ、ユーザーが何をクリックしたか。この20年、Googleの外側にいる者にとって推定するしかなかったデータに、いま値札がついた。しかも買える相手には、AIチャットボットが含まれている。
Googleは8月31日、「Google European Search Dataset Licensing Program」のページを更新し、プログラム概要・適格性基準・申請方法の詳細を公開した。
何が、誰に、いつ開くのか
背景はDMA(デジタル市場法)第6条11項である。2023年9月6日にGoogleがゲートキーパーに指定され、2024年3月から適格事業者への検索データ提供が始まっていた。今回の更新の直接の引き金は、2026年7月16日に欧州委員会が採択した措置(Measures)で、提供すべきデータセットの中身と条件が具体的に指定された。
開放されるのは、EEA域内のGoogle検索で生成された匿名化データ4種——ランキングデータ、クエリデータ、クリックデータ、ビューデータ。無料検索結果と有料検索結果の両方が対象になる。
受給できるのは、DMA第2条6項の定義を満たす「オンライン検索エンジン(OSE)」で、EEAのユーザー向けにサービスを提供している事業者。Googleはここに「検索エンジン機能を持つAIチャットボットを含む」と明記している。
適格性の条件は厳しい。EEA域外の国家主体の直接・間接の支配下にないこと。EU法の制裁対象者の支配下にないこと。EU域内で直近2年以上連続して検索サービスを提供しているか、設立2年未満なら5000万ユーロ超の資本を調達していること。そしてEU域内で過去1年間、月間平均5万ユーザー以上を有すること。
スケジュールも出た。データライセンス契約書の配布は2026年9月17日から。データサンプルの提供は11月16日から。 サンプルは3段階で、Sample Aが1,000行の無償提供、Sample Bが最大1000万クエリの合成データ(有償)、Sample Cが実データセットの5%サンプル(有償)である。
価格はFRAND(公正・合理的・非差別的)条件に基づき、措置はこれをデータ提供にかかる増分費用+所定の収益率に限定している。つまりGoogleはこのデータで儲けられない。
「安いが重い」という設計
ここからは筆者の見立てになる。
価格が原価ベースに抑えられている一方で、参入コストは別のところに積まれている。Sample Cおよびデータセット本体へのアクセスの必須前提条件として、申請者は独立した第三者監査人によるLevel 1の合理的保証報告書を提出しなければならない。技術インフラ、ストレージ、ワークフローを検査され、データ分離・アクセス制御・ログ記録の要件を満たしていることを証明する必要がある。
これは意図的な設計だと考える。措置はGoogleに個人データを含む形で提供させ、再識別の防止は受給者側の内部データ分離に委ねている。だからこそ受給者に重い技術的・組織的コミットメントを課す。データの値段は安いが、受け取る資格の値段は高い。
結果として、実際に手を挙げられるのは相当限られる。月間5万ユーザーという数字自体は高くないが、2年連続の運営実績か5000万ユーロの調達、そして監査体制の構築を同時に満たせる組織となると、既存の検索エンジンか、資金力のあるAI企業に絞られる。「競争を促すためのデータ開放」が、結果として少数の大手にしか届かないという批判は出るだろう。
AIチャットボットが受給者に入る意味
それでも今回の更新で最も重いのは、対象にAIチャットボットが明示されたことだ。
Googleの検索行動データが、競合するAIアシスタントの回答生成の下敷きになりうる。何が上位に出ていたか、どのクエリでどのリンクがクリックされたか——AI検索が今いちばん欲しがっているのは、まさにこの「人間が実際に何を選んだか」の記録である。学習用途か、グラウンディング(回答の根拠づけ)用途かは、措置が定める「使用可能な目的」の範囲次第だが、少なくとも扉は開いた。
本誌は先日、検索結果のリンクがgoogle.com/goto経由に置き換わったことを報じた。外部からの順位計測が難しくなる一方で、正規の経路ではデータが開かれていく。閉じる側と開く側が同時に進んでいるのが今の状況である。
日本のマーケターにとって何が起きるか
日本にDMA第6条11項に相当する検索データ共有義務はない。スマートフォンにおける競争促進法(スマホソフトウェア競争促進法)は指定ソフトウェアに検索エンジンも含むが、義務の中心は選択画面の提供や自社優遇の禁止であって、検索ログそのものを競合に提供させるところまでは踏み込んでいない。
すると何が起きるか。筆者は「検索行動データの非対称」が生まれると見る。
欧州のAI検索プレイヤーは、実際のクリックデータを持って回答の質を上げていける。日本を含むそれ以外の地域のプレイヤーは、引き続き推定でやる。同じサービスでも、欧州で得た知見が他地域に還流するかは各社の設計次第だ。
実務者への影響は、当面は間接的なものになる。検索行動に関する信頼できる研究やベンチマークが、今後は欧州発で増える可能性が高い。CTRカーブ、クエリの分布、AI回答が挟まったときのクリック挙動——これまで各社が自社のSearch Consoleデータや第三者ツールの推定で語ってきた領域に、一次データに基づく数字が出てくる。日本の数字とは異なる前提であることを踏まえた上で、参照先としての価値は大きい。
もう一つ。日本の規制議論において、「欧州でできているのだから日本でも」という論法の材料が積み上がる。検索データの開放が日本で議題に上がるとしたら、その根拠は欧州の運用実績になる。今回の11月16日以降のサンプル提供と、そこから実際に何社が受給に至るかは、その意味で日本にとっても観測対象である。
開放されたデータを直接触れる日本企業はほぼないだろう。それでも、この制度が動き始めた事実は、来年以降の議論の出発点になる。