「全社員にAIを」の号令が、なぜ機能しないのか
日本中の会社が、社員と管理職に「AIを使え、AIを使え」と号令をかけている。表面的な成果報告も増えてきた。「社員300人にやらせたら100アプリができました」「こんな簡単なプロンプトでこんなことができました」——。
しかし冷静に考えてほしい。誰でもできるプロンプトで、誰でも作れるアプリ。それは世の中の何千人、何万人ができることだ。誰もが出力できることの価値は、突き詰めればゼロ円である。
そしてもう一つ、決定的に見落とされている問題がある。プレイヤーにAI推進のインセンティブが、構造的に存在しないということだ。
社員にAIを使わせても動かない、構造的理由
社員は契約で労働時間が定められている。AIで効率化しても、その時間が空いた瞬間に「次の仕事」が積まれるだけだ。なんなら違う事業部に異動させられる可能性すらある。社員にとってAI活用のメリットは、ほぼない。
これは社員が悪いのではない。設計が悪い。一般的な従業員の動機を素直に考えれば、AIを活用したとしても、その時間を副業に回したり、会社の仕事はゆっくりやる方向に動くのが自然だ。私が社員でも同じことを考える。
だからAI活用は、現場に丸投げできるテーマではない。経営層、少なくとも事業部長クラスが背負うべき経営マターである。
「広く浅く」が招くジリ貧状態 — コンテンツ業界の悲劇
すでにAIで起きている悲劇がある。コンテンツマーケティングの記事制作だ。
クライアントが「AIで書けるなら自社でやります」と発注を引き上げる。受注が残った会社も、AIで作るからと従来の3分の1ほどの単価で安売りする。単価が下がった分、本数を増やして帳尻を合わせようとする。結果、効率化したはずなのに忙しさは変わらず、利益率だけが落ちる。薄利多売のジリ貧状態だ。
これが「AIが社会を豊かにしている」状態だろうか。私にはそうは見えない。AIによってこれまで専門的だった業務がコモディティ化し、誰でもできる仕事になってしまったというのが本質だ。
そして経営層は「効率化で空いた時間で新規事業を」と言う。だが、新規事業がそう簡単に立ち上がるなら、そもそも本業がもっと楽に伸びているはずだ。たかだか現場社員が新規事業を企画し運用できるわけがない。本気で新規事業をやるなら、事業部長レベルの人材を採用してあてがう必要がある。それをしないまま「効率化して新規事業」と言うのは、経営の浅さの表明でしかない。
「狭く深く」が、唯一の差別化軸になる
ではどうすべきか。私の答えは明確だ。自分が今持っている専門性のなかで、これまで予算や時間の制約でできなかったことを、AIによって深く掘り下げる。これがAI時代に生き残るための、もっとも重要な使い方の一つだと考えている。
私自身のWeb解析の現場で言えば、これまで顧客が分析に使える予算は20〜30万円程度がボリュームゾーンだった。100万円の予算は確保できる顧客もいたが多くはない。そして予算の制約は、そのまま私が投下できる時間の制約と等価だった。
AIによって作業時間が圧縮されたいま、何が起きているか。同じ20〜30万円の予算で、以前なら100万円規模でしかできなかった深さの分析を提供できる。具体的にはこういうことだ。
- モニタリングレポートの拡張:従来はGA4などの内部データだけを月次で出していた。いまはClaude Coworkを使って、競合調査、サイト外観からのコンテンツ網羅性チェック、セキュリティチェックまで含めたレポートを並行して回せる
- 提案資料のウェブ化:従来のパワポ提案資料を、ウェブサイトとして作って渡す。じつはこちらの方が手動でパワポを作るより簡単な時代になっている。しかしこの発想を持つ会社はほとんどなく、コンペでぶつけると圧倒的な差になる
- 先に作って持ち込む営業:制作コストが落ちた以上、提案して受注してから作るというフローを変えられる。「これを買いませんか」と実物を持っていく。「自分たちも考えていなかったことまで作ってきてくれた」という驚きは、揺るぎない信用に直結する
この三つはすべて、私のWeb解析という既存の専門性の延長線上にある。新規事業ではない。自分の本業を、これまでより深く・広い視野で提供できるようになったということだ。
「世界一流のウェブアナリストです」プロンプトでバレる時代
「あなたは世界一流のウェブアナリストです。世界一流の観点から分析してください」——このプロンプトは誰でも打てる。それっぽいレポートも出力できる。
しかし納品して終わりにはならない。お客に突っ込まれた瞬間、自信を持って答えられるかどうかでバレる。「あ、こいつAIに投げただけで、自分自身は何のバックボーンもないな」と。
ビジネスの最終局面は、結局のところ人と人だ。AIどうしの会話でビジネスは成立しない。だからこそ、深い専門性を持つ人材の価値は残る。むしろAIによってコモディティ化された層との差が、いままで以上にくっきり見えるようになる。
経営層へ — 月曜の朝にやるべきこと
ここまで読んでくれた決裁者の方に、月曜の朝にやってほしいことを三つ書いて締めたい。
第一に、号令する前に、現場メンバーがAI活用のインセンティブを構造的に持っていないことを理解してほしい。号令自体を取り下げる必要はない。ただし、効率化した後の世界線を経営者自身が設計しないまま下に丸投げしても、現場が本気で動く理由はない。「成功したら次の仕事を積む」ではない還元の形を示す責任が、経営層にはある。
第二に、全員にAIを使わせる必要はないと決めてほしい。AIを使うことで優秀な人はさらに優秀になる。一方で、全社員に一律で使わせようとすると、AIの扱いに慣れない人を支援するためのコストが発生する。会社にはAIを使わないオペレーター業務も引き続き必要だ。だから「誰に使わせるか」を選定することのほうが、「全員に使わせる」よりはるかに重要になる。
第三に、責任を持つ担当者を一人立ててほしい。「全社員でAIを使おう」は機能しない。「効率化しなかったらお前の給料が下がる」レベルの責任を背負った担当者がいて、初めてAI活用は本気になる。
3〜5年後の話ではない。1年後にはもう、相当な差がついていると思う。「広く浅く」を選んだ会社は、効率化された時間がそのままAIをポチポチ触る時間に置き換わるだけで、売上は変わらず社員は忙しいまま、最終的には人を切ることになる。「狭く深く」を選んだ会社は、自社の主力サービスの専門性が一段跳ね上がり、単価を維持するどころか上げる方向で他社と差をつけられる。
どちらを選ぶかは、経営者の仕事である。
上村 謙輔
株式会社サードパーティートラスト 代表取締役
WEBマーケティング領域で15年以上の経験を持ち、データドリブンな戦略立案とAI活用を専門とする。株式会社サードパーティートラスト代表取締役として、企業のデジタルトランスフォーメーションを支援。WebTech Journalではコラムニストとして、業界の最前線から独自の視点で考察を発信している。