2026年6月3日(水)
コラム

AIは足し算ではなく、掛け算だ ― 「全社員にAI」という号令の前に考えたいこと

「これからはAIを使えない人間に価値はない」――そんな号令とともに、全社員へのAI展開に踏み切る企業が相次いでいる。そのプロセス自体には尊い価値がある。だが私は、現場でいくつもの「その後」を見てきて、一つの疑問を抱くようになった。AIは全社員が等しく使いこなせるツールなのか。私はAIを「掛け算のツール」だと考えている。だとすれば、全社一律の号令は本当に組織を豊かにするのか。本稿は、AI活用を否定するためではなく、より意味のある活用を選び取るための問題提起である。

上村 謙輔

株式会社サードパーティートラスト

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200のアプリがデプロイされた、その後

ある企業で、経営層から全社員にAIコーディングツールのアクセス権が配られた。各自が自分の業務を効率化するアプリを作り、デプロイするように、と。結果、200を超えるアプリケーションがデプロイされた。数字だけ見れば壮観だ。

しかし、そのほとんどはモックだった。どこにどう載せれば安定して動くのか、という肝心の部分が抜けていて、その段階で実務に使えるものは、正直ほとんどなかった。

誤解しないでほしいのだが、モックを作ること自体は尊い。だから私は評価を続けた。ただ、実際にこの企業の開発に関わっていた私の目の前にいた担当者は、朝から晩までミーティング、広告運用、レポートに追われていた。課題に対してアプリを一度は出したが、1週間、2週間も経つと、自分が作ったものを忘れていた。

会社全体のムーブメントとしては確かに盛り上がった。けれど、2週間、3週間と経って何かが前進したかと問えば、答えは「何一つ」だった。経営層は号令をかけたが、従業員に時間を与えなかった。だから「そんなことをやる時間はない」となり、やらない習慣がつき、何も変わらない運用に着地した。

「動くものができた」と「完成した」は違う

ここで立ち止まりたい。そもそもシステム開発というのは、本番稼働までの工程が、完成度でいえば20%程度にすぎない。残りの80%は、稼働後の保守・運用・安定化にある。作って、周知して、使ってもらって、継続して使ってもらい、フィードバックを集めて改善し、定常的にバグを潰し続ける――この終わりのないサイクルにこそ、開発の本質的な工数がある。

AIによって、多くの人がアプリを「作れる」ようになった。これ自体は間違いなく価値がある。私はそれを否定したいわけでは一切ない。ただ、本稼働まで担い切った経験がないからこそ、20%の地点を100%だと思い込む人が、いま続出している。先ほどの200のアプリは、その縮図だった。

AIは足し算ではなく、掛け算だ

私はAIを、足し算ではなく「掛け算」の道具だと捉えている。能力を一律に底上げするのではなく、もともとの実力を増幅する――使い手の地力に応じて、出力は跳ね上がりもすれば、しぼみもする。これはあくまで私の肌感覚だ。地力のある人がAIを得れば、成果は何倍にもなる。逆に、使いこなせない人にとっては、効率化の果実はそもそも実らない。不慣れなまま一つの作業をAIで仕上げようとすれば、手を動かすより時間がかかることすらある。号令で使用を義務づけられても、既存の業務が減るわけではない。新しい手間だけが上に乗る。その人にとってAIは、成果を増やす道具ではなく、ただ時間を奪う重しになりかねない。出力の良し悪しを判断できなければ、誤りをそのまま通してしまうリスクも、そこに重なる。

正直に書いておくと、これには有力な反証がある。コールセンターなどの実証研究では、生成AIはむしろ経験の浅い人ほど底上げし、熟練者との差を縮めた、という報告が知られている。私もその効果は否定しない。ただ、それは「正解の型」がある程度決まっている定型業務での話だと考えている。私が問題にしたいのは、これまで誰にでもはできなかった仕事――課題そのものを定義し、出力を評価し、責任を持って実装まで運ぶ、判断の要る領域の方だ。そこではAIは、地力をそのまま増幅する。

だからこれは、専門職の話に近い。汎用AIを日常のチャットとして使う能力と、こうした仕事をAIに託す能力は、まったく別物だ。100人に任せて成果を出せるのが数人なら、それを組織の安定的なルールには据えにくい。「全員に使わせれば全員ができるようになる」という前提は、少なくともこの領域では、そのままには成り立たない。

「優秀な人だけが要る」という話ではない

誤解されたくないのは、これは「優秀な人だけが要る」という話ではない、ということだ。組織を要素に分解すれば、クリエイティブであることが求められる人員は、実はそう多くない。むしろAIによって、クリエイターの枠はさらに圧縮されるかもしれない。そして人には得意不得意がある。新しいものを生み出すことに長けた人が、日々の定型業務を黙々と安定してこなすのも得意とは限らない。逆もまた然りだ。企業には、その安定したオペレーションを支える人間が欠かせない。

効率化の先に、何を置くか

AI活用はすぐに「効率化」の議論へ流れる。だが、効率化はそれ自体がゴールではない。空いた時間をどこへ振り向けるかで、結果はまるで変わってくる。

一つの道は、浮いた工数を増産や新規開拓に充て、人を増やさずに売上を伸ばすことだ。これは正しい。私が気にかけているのは、もう一つの反射的な反応――「効率化したのだから単価を下げよう」という流れの方である。もちろん、生産性の向上が価格の低下を通じて市場を広げ、より多くの顧客に届くという側面はある。それは経済の健全な働きだ。だが、付加価値で勝負してきた仕事までを安易な値下げ競争に持ち込めば、削られるのは自分たちの取り分であり、めぐりめぐって賃金の原資でもある。

だから私はむしろ、浮いた時間は品質の向上に充てたい。これまで100の出力で100万円だった仕事を、同じ100万円で300の価値にして返す。抱える人数も仕事量も同じまま、提供価値だけを跳ね上げる。値段を下げるのではなく、返すものを厚くする。発展の余地は、そちらにあると私は考えている。

AIを「任せられる人」に任せる未来

結局のところ、組織にとって本当に意味のあるAI活用を判断できる人は、全員ではない。むしろ少数だ。全社一律の号令は、できない人に歩調を合わせることになり、しかも既存業務は免除されない。すると従業員にとってAIは、ただ忙しくなるだけのツールに成り下がる。給料が上がるわけでもないのに、新しいことをやれと言われる。

かつてエンジニアにしか任せられない業務があったように、これからはAIを任せられる人にAIの業務を託す――そんな整理が、少なくとも上流のビジネス層では当たり前になっていくのではないか。触れる人を一定の基準で絞り、データやコンプライアンスのリスクを管理する。そうした動きは、これから強まっていくと私は見ている。

AIは、個人を豊かにする。それは疑いない。だが、組織を豊かにするかどうかは別の問題だ。相当な環境整備と、覚悟を持った組織だけが、AIで組織を豊かにできる。号令の前に、まずそこから問い直したい。

上村 謙輔

株式会社サードパーティートラスト 代表取締役

WEBマーケティング領域で15年以上の経験を持ち、データドリブンな戦略立案とAI活用を専門とする。株式会社サードパーティートラスト代表取締役として、企業のデジタルトランスフォーメーションを支援。WebTech Journalではコラムニストとして、業界の最前線から独自の視点で考察を発信している。

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