「疑いなく素晴らしい」と書いた、その先で
今年4月、私は「AIで浮いた時間は、結局“誰”のものになるのか」というコラムで、「個人にとってのAI活用は、疑いなく素晴らしい」と書いた。
書けなかった文章が書ける。組めなかったコードが組める。分析できなかったデータに踏み込める。能力を広げるという意味では、今も本気でそう思っている。
ただ最近、その言い切りに少し引っかかるようになった。私は「できることが増えること」と「幸せになること」を、同じ箱に入れていたのではないか。
1日が30分になって、残りの時間はどこへ行ったか
私はAIをかなり極端な量まで使ってきた。以前なら丸1日かかっていたレポート業務が、今では30分ほどで終わることがある。
しかも、同じレポートを速く作るだけではない。セキュリティチェック、ヒューリスティック分析、具体的な改善提案、制作物のサンプルまで一緒に出せる。自分の出力能力が1から100になったような感覚がある。
もちろん、これは私個人の例だ。5,172人のカスタマーサポート担当者を対象にした研究では、生成AIによる生産性向上は平均15%、経験の浅い層で約30%だった。すべての仕事が20倍になるわけではない。それでも、AIが仕事の生産能力を押し上げること自体は、もはや空想ではない。
では、私に生まれた残りの時間は自由時間になったのか。答えはノーだ。AI開発、新しいプロダクト、研究的なアプリケーションへ、ほぼそのまま再投資した。家族との時間は特に増えていない。できることが100倍になっても、受注や売上が100倍になったわけでもない。
AIが生むのは「時間」ではなく「余剰能力」だ
AIは、100必要だった労力を5にする。そのとき生まれる95をどこへ配るのか。利益、値下げ、サービス品質、賃金、自由時間。理屈の上では複数の行き先があるが、賃金や自由時間へ自動的に戻る仕組みはない。
企業にとって見えやすいのは、コストを減らすか、同じコストのまま品質を深めるかの二つだ。広告運用のレポートだけを納めていた会社が、サイト分析からクリエイティブのサンプルまで同じ料金で出すようになる。競合も同じことを始めれば、それは付加価値ではなく新しい標準になる。
顧客が受け取るサービスは良くなる。機能もデザインも改善され、社会は便利になる。一方、提供側の売上や働く人の給料、自由時間まで増えるとは限らない。生産性向上の果実が、品質競争を通じて顧客へ移転するからだ。
社会の性能は上がる。だが、そのことと人が幸せになることは同じではない。
日本では「品質の軍拡競争」へ向かうのではないか
資本効率だけを目的にするなら、AIで不要になったポストを減らし、利益率を上げるのは筋が通っている。Amazonのアンディ・ジャシーCEOも、生成AIとエージェントの導入により、今後数年で本社部門の総人員が減るとの見通しを公表している。
ただし、「米国ではAIがすでに一斉に人を置き換えている」と言うのは早い。米国勢調査局の2026年の企業調査では、AI利用企業の多くは人間の仕事を補完する使い方で、AIに伴う雇用減を報告した企業は全体の2%だった。人員削減は現実に始まっているが、全体像はまだ定まっていない。
日本でも、厚生労働省が説明する通り、解雇は企業が自由に行えるものではない。ただ、単純に「世界で最も解雇が難しい国」と表現するのも正確ではない。
OECDの2026年の分析では、正規雇用者に対する雇用保護の厳格度は加盟国平均付近にある一方、解雇判断の結果を予測しにくいことが、企業が非正規雇用を調整弁として使う一因になっていると指摘されている。法律だけでなく、企業イメージ、長期雇用への期待、いわゆる義理や人情も経営判断に入る。
そのため日本企業では、効率化で浮いた人をすぐ減らすより、配置転換し、さらに深いサービスを作る方向へ向かいやすいのではないか。最初から少人数で設計されたAIネイティブ企業が既存企業を脅かす可能性はある。ただ、日本のBtoBでは大企業の信用、顧客基盤、ブランドも強い。少人数企業が一気に置き換えるほど単純ではなく、既存企業同士の品質競争が先に激しくなると私は見ている。
社会の性能と、人間の幸福は別の指標である
社会の機能が上がること自体は悪くない。より安全で、便利で、美しく、質の高いサービスが増える。それは人類の前進と呼べる。
しかし、機能的に進歩した時代が、以前より幸福な時代だとは限らない。SNSは人をつなぎ、情報へのアクセスを劇的に改善した。同時に、他人との比較を日常へ持ち込み、幸福を感じにくくした面もある。技術の便益と心の豊かさは、同じ物差しでは測れない。
AIは私の心を軽くした部分もある。以前なら人を雇い、説明し、管理しなければ得られなかった出力を、一人で得られるようになった。人を雇わなくてもよいという自由は、確かに大きい。
一方で、私は発想が無限に生まれるタイプでもある。できると分かれば、あれも作りたい、これも試したいとなる。浮いた時間を休みに変えず、次の仕事へ入れてしまう。「もっと作りたい」という欲求と、「止まれば置いていかれる」という競争圧力は、私の中では50対50だ。
AIは、私を人を雇い管理する負担から自由にした。しかし、仕事そのものから自由にはしなかった。
まだ、答えはない
AIが直接生み出すのは、幸福ではなく余剰能力なのだと思う。その余剰が利益、品質、賃金、自由時間のどこへ向かうのか。そして、本人がその行き先を選べるのか。AIが人を幸せにするかどうかは、そこにかかっている。
そう整理すれば答えが出たようにも見える。だが、市場競争の中で、本当に私たちは自由に配分先を選べるのだろうか。
私自身、浮いた時間を自分の意思で開発へ使った。しかし、その半分は競争から脱落したくないという圧力でもあった。
AIは本当にあってよかったのか。私にはまだ分からない。むしろ、その答えを知っていると言い切る人ほど、私は少し疑わしいと思っている。
1日を30分にしたAIが、残りの時間まで幸せにしてくれるわけではない。その時間は誰のものなのか。そして、私たちは本当にその使い道を選べているのか。この問いについては、これからも会話を続ける必要があると思う。
上村 謙輔
株式会社サードパーティートラスト 代表取締役
WEBマーケティング領域で15年以上の経験を持ち、データドリブンな戦略立案とAI活用を専門とする。株式会社サードパーティートラスト代表取締役として、企業のデジタルトランスフォーメーションを支援。WebTech Journalではコラムニストとして、業界の最前線から独自の視点で考察を発信している。